Last Update 2008.6.1
       
●阪神電鉄の路面電車 “金魚鉢”
  71形,91形,201形は,流線形の車体と側面窓がボディーの半分以上を占める姿から“金魚鉢”と呼ばれました。
  71形は,阪神間モダニズム時代の1937年/昭和12年に,登場しました。
  当時,阪神国道沿いは“甲子園球場”“甲子園ホテル”などの阪神間モダニズムを代表する建築物が点在しており,
  中流階級の新興住宅地として発展していました。
  こうした背景から,モダンなスタイルの電車が生まれました。

  71形のスタイルは,1942〜48年/昭和17〜23年登場の91形,201形に引継がれました。
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 ●71形,91形,201形

  国道線の名物電車であった71形,91形,201形は,
  1975年/昭和50年の併用軌道線全廃まで,
  1両も廃車されることなく使用されました。

  71形 10輌,91形 3輌,201形 15輌  計28輌

  廃止後は,全車が譲渡なく引退しました。

  71形は,1937年/昭和12年に,
  汽車製造(東京)で,71〜75の5輌,
  川崎車輌で,76〜80の5輌の
  計10輌が製造されました。

  91形は,1945年/昭和20年に,
  汽車製造(東京)で91〜93の
  3輌全車が製造されました。

  201形は,1942〜48年/昭和17〜23年に,
  汽車製造(東京)で,201〜215の
  15輌全車が製造されました。
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 ●31形

  71形,91形,201形の“金魚鉢”以前に登場した
  31形も,1975年/昭和50年の併用軌道線全廃まで,
  走りました。


  1929年/昭和4年に,31〜45の15輌が登場し,
  全車北大阪線に投入されました。
  翌年には,46〜50の5輌が就役し,
  31〜35が国道線に転籍しました。

  1933年/昭和8年に,
  国道線と北大阪線の車両番号を揃えるため,
  それまでの36〜40を,46〜50に改番されました。
  1935年/昭和10年には,
  40番台を忌み番として欠番としたため,
  41〜50が,81〜90に改番されました。

  1960年代後半から1970年代初めにかけて,
  38,40を除く全車の車体が更新され,
  車体がノーリベットになりました。

  その後も31形は国道線と北大阪線を中心に運用され,
  1974年/昭和49年の
  国道線西灘〜上甲子園間廃止時に
  32,34,38,,40,88の5輌が廃車されました。
  残る14輌は,
  1975年/昭和50年の併用軌道線全廃まで,
  使用されました。
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