Last Update 2007.9.1
       
 “しらせ”横浜大桟橋入港
1983年/昭和58年 5月14日,就役したばかりの南極観測船“しらせ”が横浜大桟橋に入港しました。

この年の秋,25次観測隊を乗せ,南極に向けて初出航しました。
 しらせ は,海上自衛隊所属の砕氷艦です。
 艦番号は,AGB−5002です。
 AGBは“Auxiliary Ice Breaker”の略号。
 auxiliaryは,補助艦艇を意味します。
 母港は,横須賀です。
 しらせ は,1982年に
 日本鋼管・鶴見製作所で建造されました。

 日本鋼管は,
 初代南極観測船“宗谷”を大改装し,
 2代“ふじ”を建造しました。

 しらせ の後継艦も,
 日本鋼管の造船部門の後継会社である
 ユニバーサル造船・舞鶴事業所が建造します。
 しらせ”は,船長 134m,船幅 28m,
 基準排水量 11600tの大型艦です。

 白一色の南極で,識別できるように,
 船体はアラートオレンジに塗装されています。
 宗谷,ふじ も 同じ塗装でした。

 速力19ノット
 3ノットで1.5m厚の氷を連続砕氷できます。
 船体を氷の上に乗り上げて,氷を割ります。
 このため,
 船首に丸みを付け,船幅が広くなっています。
 毎年11月14日12時に東京港晴海埠頭を出港,
 オーストラリア・フリーマントル港に1週間停泊し,
 12月中〜下旬に昭和基地に到着しています。
 3ノットで,1.5mの氷を連続砕氷できる能力を
 保有しています。
 しらせ の艦名は,一般公募されました。

 日本人として初の南極探検を行った
 “白瀬陸軍中尉”にちなんで
 命名されたと考えるのが,自然ですが,
 海軍以来の慣例として艦名に,
 人名を使わないことから,
 海上自衛隊の説明では,
 「白瀬氷河」にちなむとされています。
 日本の初代南極観測船は“宗谷”です。
 宗谷 は,海上保安庁の灯台補給船を
 南極観測船に改装して生まれました。
 所属は,海上保安庁でした。

 宗谷 の砕氷能力は低く
 氷に閉じ込められることがありました。
 ソ連のオビ,米国のバートン・アイランドの
 救援を受けました。

 2代目“ふじ”は,
 厚さ 80cm の氷を連続砕氷でき,
 最大 6mの氷をチャージングできる
 砕氷艦として建造されました。
 チャージングとは,
 氷に乗上げ・船の重みで氷を割ることです。
 初代南極観測船 宗谷は,
 数奇な経緯により,南極観測船になりました。

 宗谷 は,1937年/昭和12年に
 ソ連の耐氷貨物船として進水しましたが,
 国際情勢から商船として就航しました。
 その後,1940年/昭和15年,日本海軍に,
 特務艦(運送艦)宗谷として徴傭されました。

 戦後,海上保安庁の灯台補給船になり,
 大改装により,
 初代南極観測船 宗谷が誕生しました。
 宗谷 は,1956〜1962年/昭和31〜37年に
 6回の南極観測に従事しました。

 その後,海上保安庁の巡視船になり,
 1978年/昭和53年まで就役しました。