Last Update 2007.9.1
     
 私有貨車は,
 石油,化学,セメント会社などが,
 専用用途に所有している貨車のことです。

 汎用用途の有蓋車,無蓋車,コンテナ車は,
 国鉄,現在のJR貨物が所有しています。

 こうした私有貨車には,
 所有会社のマークが取り付けられています。

 このマークは,日本セメント(浅野セメント)
 現 太平洋セメントのものです。
 セメント輸送用タンク車などに
 取付けられていたと推定します。

 このマークを取り付けた貨車が,
 浜川崎駅から浅野セメントの引込み線に
 運用されていたことも,予想されます。
  
 私有貨車の多くは,
 タンク車,ホッパ車,大物車などです。
 石油類輸送のタンク車が最も多く存在します。

 タンク車は,石油類の液体だけでなく,
 粉体であるセメントの輸送にも
 使用されています。

 日本初の40t積みセメント専用車として
 1964年/昭和39年から製造のタキ1900形は,
 現在でも,全国で活躍しいます。

 この日本セメントのマークが,
 タキ1900に
 取り付けられていた可能性は高いと思います。


  この日本セメント・マークは,鉄板製です。
  貨車本体には,このような金具を介して,
  取り付けられていました。

  最近は,こうした鉄板製マークは少なくなり,
  フィルム製のマークが貼り付けられています。
●タンク車の保有会社である“日本石油輸送株式会社”のマークが,車体側面に取り付けられています。


 ●日本セメント〔浅野セメント〕マークの由来

 日本セメント〔浅野セメント〕マークの扇形は,
 浅野家の家紋にちなむものです。

 JR鶴見線の浅野駅や扇町駅の駅名も,
 旧浅野セメントに由来します。




 ●日本セメント〔浅野セメント〕の歴史

 1883年/明治16年,浅野総一郎氏が,
 官営深川工作分局のセメント工場を借り受け創業。

 1913年/大正2年,浅野セメント設立。

 戦前,北海道セメント,大阪木津川セメント,
 旧日本セメント,土佐セメント,
 日東セメントなどを合併。

 1947年/昭和22年に,日本セメントに社名変更。


 1998年/平成10年,秩父小野田と合併して
 太平洋セメントとして存続しています。



 ●浅野総一郎・浅野セメントと南武線

 2007年/平成19年3月に,
 JR南武線は,開業80周年を迎えました。

 南武線は,1927年/昭和2年に,
 私鉄の南武鉄道として,多摩川の砂利輸送を主目的に
 川崎〜登戸が開業しました。
 その後,立川,尻手−浜川崎支線が開通しています。

 “明治期のセメント王”と呼ばれた浅野総一郎は,
 当時,青梅鉄道(現在の青梅線)を傘下に収めており,
 セメント原料である石灰石を,
 青梅鉄道から中央本線・山手線・東海道本線経由で
 セメント工場のある川崎まで運んでいましたが,
 川崎と立川を結ぶ南武鉄道を傘下にすることで,
 浅野系の路線で,輸送距離を大幅に短縮できました。

 南武鉄道は,
 戦時下の1944年/昭和19年に国有化されました。


 ●浅野総一郎・浅野セメントと鶴見線 

 京浜工業地帯の埋立地に
 鶴見臨港鉄道(現在の鶴見線)を設立しています。
 浅野駅や終点の扇町駅は,
 浅野家にちなんで名づけられました。

 浅野総一郎は,浅野セメントの設立をきっかけに,
 京浜工業地帯に
 浅野造船所(後の日本鋼管,現JFE)など
 多数の会社を設立しました。