Last Update 2008.6.1 | ||
●阪神電鉄 併用軌道線 国道線・北大阪線 | ||
国道線,北大阪線の廃止の年に,野田,中津,天神橋筋6丁目付近の路面電車を撮影しました。 大きな窓の独自スタイルの電車“金魚鉢”が,主力に走っていました。 |
78 | 203 | 205 | ||
野田 1975 | ||||
81 | 214 | |||
中海老江−野田 1975 | ||||
81 | ||||
海老江 1975 | ||||
203 | 91 | |||
東大淀−中津 1975 | ||||
91 | ||||
中津 1975 | ||||
91 | 203 | |||
中津-北野 1975 | ||||
203 | 212 | 203 | ||
天神橋筋六丁目 1975 | ||||
203 | 203 | |||
212 | 212 | |||
●北大阪線は,大阪市内の野田から天神橋筋六丁目を結ぶ4.3kmの路面電車の路線でした。 北大阪電気軌道が,この区間の軌道敷設の特許を受けましたが,株主と官庁の意向で, 北大阪電気軌道は,阪神電鉄に合併になり,阪神電鉄初の支線として,1914年/大正3年に開業しました。 北大阪線は,1975年/昭和50年5月,国道線・甲子園線全廃とともに,廃止になりました。 ●国道線は,大阪市内の野田から神戸市内の東神戸を結ぶ路面電車の路線でした。 国道線は,軌道路線としては日本最長の路線でした。 野田−東神戸間の所要が約2時間であったため,通しの乗客はまずおらず,阪神本線の補完的路線でした。 阪神間を結ぶ日本初の都市間高速鉄道(インターバン)を,1905年/明治38年に開業した阪神電鉄は, 大正末期の阪神国道(現・国道2号)建設計画に伴い, 1925年/大正14年に子会社の阪神国道電軌を設立し,1927年/大正16年に野田−東神戸間26.0kmを開業しました。 1928年/昭和3年には,阪神電鉄が阪神国道電軌を吸収し,直営の国道線としました。 国道線は,1969年/昭和44年,1974年/昭和49年の神戸側の区間廃止を経て, 1975年/昭和50年5月,甲子園線,北大阪線全廃とともに,廃止になりました。 ●甲子園線は,上甲子園から浜甲子園を結ぶ2.8kmの路面電車の路線でした。 国道線開通のちょうど1年前(1926年/大正15年)に, 阪神電鉄が開発した郊外住宅地である甲子園への足として,甲子園−浜甲子園を開業しました。 国道線開通,続く国道線直営化を受けて,1928年/大正17年に上甲子園まで延長,国道線に連絡しました。 1930年/昭和5年,浜甲子園から海岸部の中津浜まで延長しましたが 太平洋戦争末期に休止,のち廃止になりました。 甲子園線は,12分間隔で運転されるなど乗客数も比較的多く,団地住民の足としての役割を果たしていましたが, 国道線の廃止により浜田車庫への出入庫ができなくなるため, 1975年/昭和50年5月,国道線,北大阪線全廃とともに,廃止になりました。 【北大阪線の履歴】 1914年/大正 3年 野田−天神橋筋六丁目 開業 1975年/昭和50年 北大阪線 廃止 【国道線・甲子園線の履歴】 1926年/大正15年 甲子園線 甲子園−浜甲子園 開業 1927年/昭和 2年 阪神国道電軌 西野田(野田)−神戸東口(東神戸)開業 1928年/昭和 3年 阪神電鉄が阪神国道電軌を吸収合併 甲子園線 上甲子園−甲子園 開業 1930年/昭和 5年 甲子園線 浜甲子園−中津浜 開業 1945年/昭和20年 甲子園線 浜甲子園−中津浜 休業 1969年/昭和44年 国道線 西灘−東神戸(0.6km)廃止 1973年/昭和48年 甲子園線 浜甲子園−中津浜 廃止 1974年/昭和49年 国道線 上甲子園−西灘 廃止 1975年/昭和50年 国道線,甲子園線 廃止 |
← 1975年/昭和50年5月3日の新聞公告 国道線,甲子園線,北大阪線の営業廃止 |