Last Update 2010.12.1
      
  DD51時代      ディーゼルカー快走      D51時代

  関西本線 加太-中在家信号所-柘植は,
  急勾配の連続する難所であり,加太越え”と呼ばれ
ていました。
  貨物列車は,亀山-柘植を補助機関車を付けて運転しました。

  補助機関車は,列車の後尾に連結されることが多く,
  蒸気機関車の時代は,
  列車の前後で煙を上げ,大築堤を登る貨物列車が印象でした。

  1973年/昭和48年に,蒸気機関車の運用が廃止(無煙化)され,
  D51から,ディーゼル機関車DD51にバトンを渡しました。
  DD51に代わっても,
  後補機の運用は変わらず,迫力のある“加太越え”でした。

  現在は,貨物列車,急行列車の運用はなく,
  ワンマン運転のディーゼルカーが,亀山-加茂を結んでいます。
  
撮影 1981.12.30  加太-中在家信号所
撮影 1970.3.9  加太-中在家信号所