Last Update 2012.12.1
         
    1982年・夏
1982.8.1 土樽−越後中里〔上越線〕
    上越国境は真夏でした。   緑の中を“とき”が走り抜けました。
 *Photo画面をクリックすると,大画面でご覧いただけます。
  土合駅を通過する上り“とき”

  上り線は,松川ループから
  清水トンネルを抜け,
  地上の土合駅を通過します。
  下り線の土合駅は,
  新清水トンネルの中にあります。


  181系 “とき”

  撮影 1982.7.31
      土合〔上越線〕
  毛渡沢を渡る上り“とき”

  土樽の近く,
  魚野川の支流・毛渡沢を渡る鉄橋があります。
  鉄橋の手前は堰堤になっており,
  川水が滝のように落ちていました。


  181系 “とき”

  撮影 1982.8.1
      土樽−越後中里〔上越線〕
  魚野川を渡る下り“とき”

  湯檜曽で,上り線と別れた下り線は,
  新清水トンネルを抜け,土樽から魚野川を渡り,
  緑の中の高架コンクリート橋を走ります。


  183系 “とき”

  撮影 1982.8.3
      土樽−越後中里〔上越線〕
  魚野川を渡る下り“とき”

  上越線は上越国境を上下線が別れて走ります。
  越後中里で,上下線は合一します。
  土樽-越後中里にあるこの撮影ポイントは,
  魚野川を渡る上下列車を撮影できます。


  183系 “とき”

  撮影 1982.7.31
      土樽-越後中里〔上越線〕
  魚野川を渡る上り“とき”

  上り線は,ガータ鉄橋で魚野川を渡ります。
  4月は吹雪の中の181系“とき”を撮りましたが,
  このときは,緑の中を走る181系“とき”が
  撮影できました。
  ボンネットにJNRマークが輝いていました。
  1987年/昭和62年の国鉄分割民営化で,
  JNRマークは外されました。


  181系 “とき”

  撮影 1982.8.3
      土樽-越後中里〔上越線〕
  魚野川を渡る181系下り“とき”

  大宮の鉄道博物館に,展示のクハ181-45は,
  最期まで,“とき”に運用された車輛です。
  当初,161系の増備車として予定されましたが
  181系に設計変更され,
  前頭部に赤帯を太く塗装して
  1965年/昭和40年に登場した車輛です。


  181系 “とき”

  撮影 1982.7.31
      土樽-越後中里〔上越線〕
  緑の中を疾走する183系“とき”

  当時,L特急“とき”は14往復が運転され,
  3往復が181系,残りを183系1000番台で
  運用されていました。
  183系1000番台は,
  1974年/昭和49年から“とき”に投入されました。


  183系 “とき”

  撮影 1982.8.3
      越後中里-越後湯沢〔上越線〕
  S字カーブを進む181系“とき”

  181系は,
  1982年/昭和57年11月の上越新幹線開業で,
  全車が営業から引退しました。
  一部の車両はすぐに廃車されることなく,
  保留車になりましたが,
  1986年/昭和61年に全て廃車になりました。


  181系 “とき”

  撮影 1982.8.3
      越後中里-越後湯沢〔上越線〕


  越後湯沢駅を発車する上り183系“とき”

  当時,越後湯沢駅は,
  4か月後に開業する上越新幹線の停車駅として
  準備が進んでいました。

  現在,越後湯沢駅には,
  北越急行ほくほく線(六日町-犀潟)の
  特急“はくたか”(越後湯沢-金沢・福井・和倉)と
  一部普通列車が上越線経由で直通しています。


  183系 “とき”

  撮影 1982.8.2
      越後湯沢〔上越線〕
  越後湯沢駅を発車する上り181系“とき”

  上越特急“とき”は,
  1982年/昭和57年の上越新幹線開業で,
  新幹線・各駅停車“とき”に引き継がれました。
  1997年/平成9年の列車名再編で,
  “とき”は一時消滅しましたが,
  “あさひ”は長野新幹線“あさま”と間違いやすく,
  2002年/平成14年,
  東京・越後湯沢 - 新潟間を運転する列車が
  “あさひ”から“とき”に変更されました。


  181系 “とき”

  撮影 1982.8.3
      越後湯沢〔上越線〕