Last Update 2021.12.1
     
TOPICS
西信貴ケーブル・歴史
西信貴ケーブル  コ7形ケーブルカー  信貴山口駅  高安山駅  踏切
路線図に観る西信貴ケーブルの変遷
大軌/信貴山急行電鉄時代(昭和13~16年)・鋼索線と山上鉄道線の営業
関西急行鉄道時代(昭和13~19年)・鋼索線と山上鉄道線の営業
近鉄時代(昭和23~32年)・鋼索線と山上鉄道線の休止・信貴山口駅の東高安駅改称
近鉄時代(昭和32~58年)・鋼索線の営業再開・山上鉄道線の廃止/バス路線転換

  西信貴ケーブル(西信貴鋼索線: 信貴山口-高安山)は,
  信貴山電鉄が昭和5年に信貴山朝護孫子寺の参詣線として,
  山上鉄道線(高安山-信貴山門)と同時に開業しました。

  戦中 昭和19年に鋼索線と山上鉄道線が不要不急線として休止しましたが,
  昭和32年に山上鉄道線は廃止・バス路線転換になり,
  鋼索線は近鉄/信貴鋼索線として運行を再開しました。
  現在のケーブルカー: コ7形(7号・8号)は運行再開時に製造されました。

西信貴ケーブルの歴史
  1930年/昭和 5年

  1931年/昭和 6年
  1938年/昭和13年
  1944年/昭和19年

  1957年/昭和32年

  1964年/昭和39年

  1983年/昭和58年

信貴山電鉄が鋼索線・山上鉄道線を開業
鋼索線(信貴山口-高安山),山上鉄道線(高安山-信貴山門)

信貴山電鉄が信貴山急行電鉄に改称
大阪電気軌道(大軌)に運営委託
鋼索線・山上鉄道線が不要不急線として休止,資材供出
関西急行鉄道が信貴山急行電鉄を合併
鋼索線を信貴鋼索線として運行再開
山上鉄道線を廃止・バス路線転換
信貴鋼索線から西信貴鋼索線に改称
信貴生駒電鉄が近鉄に合併,同鉄道の鋼索線を東信貴鋼索線に改称
東信貴鋼索線の廃止


  信貴山電鉄は,昭和5年/1930年の山上鉄道線(高安山-信貴山門)の開業に併せて
  デ5形 5・6・7号の3輌を日本車輌で製造しました。
  昭和12年に6号が谷底転落事故で廃車になりましたが,
  5号・7号は,昭和19年の山上鉄道線休止のとき鋼索線を利用して山を降り,
  モ5251形(5251号・5252号)として南大阪線に配置されました。

  昭和21年に伊賀線に移動し,昭和52年まで運用されました。

伊賀上野行き普通・モ5251形 5252    1973.5.15 上野市〔近畿日本鉄道 伊賀線〕