当時,高校生の私は,新見発のディーゼル列車 857Dに乗車しました。
布原信号所は,新見から一駅,数分で到着です。
布原信号所では,すでに,D51三重連列車が,9時12分に到着し,9時17分の発車を待っていました。
857D列車は,布原信号所に9時16分到着しました。 発車まで1分です。
駅員が,857D列車から受取ったタブレット・キャリアを持って,先頭のD51に走りました。
タブレット・キャリアを,先頭D51の機関士に手渡しました。
9時17分,先頭のD51から,凄まじい汽笛が響き,D51三重連列車の発車シーンの始まりです。
D51三重連列車は,最大出力にして,蒸気を空高く吹き上げて,轟音と共に発車しました。
25パーミルの勾配を駆け上がり,第23西川橋梁を渡り,苦ケ坂トンネルに突入していきます。
父から借りた“オリンパス・オートアイ”で,夢中で,シャッターを切りました。
山岳路線の伯備線では,多くの貨物列車が,重連(D51 2輌)で運用されていましたが,
4292レは,回送D51が重連に連結され,三重連で運転されていました。
D51三重連列車4292レは,東海道山陽新幹線・岡山開業(1972.3.15)のダイヤ改正で,廃止になりました。 |