Last Update 2010.9.1
       
    瀬野八越え
   瀬野から八本松は,22.6‰の急勾配が連続する難所(大山峠)で,蒸気機関車時代から現在の電気機関車に至るまで,
   上り列車には補助機関車(補機)を連結して,この難所を越えています。

   瀬野-八本松間は,1962年/昭和37年に電化されましたが,
   翌年,貨物列車が電気機関車牽引になり,瀬野八の補機も電気機関車 EF59になりました。
   補機運用は,貨物列車は重連,荷物列車,旅客列車は単機でした。

   瀬野八は,上り方向だけの片勾配であるため,勤めを終えたEF59形は下り列車に連結されず,
   重連,4重連,6重連で,瀬野に回送列車として戻っていました。
*Photo画面をクリックすると,大画面でご覧いただけます。
  瀬野八では,EF58牽引の客車列車は,
  EF59の補機1輌が必要でした。
  瀬野9時8分発の
  EF58 161牽引の上り急行“屋久島2号”は
  EF59 15におされて瀬野八を越えて行きました


  急行“屋久島2号”(西鹿児島-大阪)
  
EF58 161-EF59 15


  撮影 1974.3.19
      八本松-瀬野

  補機運用を終えたEF59が,
  4重連で,瀬野機関区に戻っていきます。


  EF59 4重連回送列車

  撮影 1974.3.19
      八本松-瀬野

   

  補機運用を終えたEF59が,
  2重連で,瀬野機関区に戻っていきます。


  EF59 2重連回送列車

  EF59 22+EF59 11

  撮影 1974.3.19
      八本松-瀬野


  貨物列車には,
  EF59の重連補機が運用されました。


  EF65 1054-EF59 3+EF59 20

  撮影 1974.3.19
      八本松-瀬野
  EF59は,回送のとき,
  先頭になる下り側正面に,
  警戒のため,ゼブラ塗装がなされていました。


  EF65 500牽引貨物列車
  EF65 500-EF59+EF59 

  撮影 1974.3.19
      八本松-瀬野
   
  当時の広島地区は,
  80系電車が普通列車として,
  運用されていました。
  1978年/昭和53年に引退しました。

  80系電車の普通列車

  撮影 1974.3.19
      八本松-瀬野
   
  貨物列車に運用のEF59重連補機
  EF59 4+EF59 5

  撮影 1974.3.19
      八本松-瀬野