Last Update 2012.9.1
         
    TDA 東亜国内航空

  当時,東亜国内航空は,日本航空,全日空とともに,日本の3大航空会社でした。
  1988年/昭和63年,東亜国内航空は国際線と国内幹線に進展のため,日本エアシステムに社名を変更しました。
  2004年/平成16年,日本航空ブランドの国内航空会社に転換され,日本航空ジャパンに社名変更しました。
  その後,日本航空ジャパンは,2006年/平成18年,日本航空に吸収合併され,名実ともに消滅しました。

  当時,東亜国内航空は,国内準幹線とローカル路線を主体に運航していました。
  ダグラスDC-9シリーズの保有を増やすとともに,機材の大型化を図りエアバスA300の導入を進めていました。

  1981年/昭和56年に導入のエアバスA300の塗装はレインボーカラーであり,
  当時のDC-9やYS-11のレッド&グリーンの塗装デザインとは全く異なるものでした。

  その後の東亜国内航空(日本エアシステムの機材の塗装デザインの多くは,
  虹をイメージした“レインボー・デザイン”と呼ばれています。


*Photo画面をクリックすると,大画面でご覧いただけます。
  エアバスA300は,
  世界初の双発エンジン・ワイドボディ旅客機です。
  A300の300は,座席数300を意味しています。

  エアバスA300は,日本では東亜国内航空が,
  1981年/昭和56年に初めて就航させました。

  ワイドボディ機であるエアバスA300の導入により
  東亜国内航空のイメージは,一新されました。

  A300シリーズの塗装・レインボーカラーは,
  エアバス社のデモフライト機の塗装を
  譲り受けたものでした。

  エアバスA300    JA8464

  撮影 1984.8.18
      羽田空港・B滑走路
  マクドネル・ダグラスDC-9は,
  1974年に導入されました。
  DC-9には,“レッド&グリーン”と呼ばれた
  垂直尾翼を赤と緑に塗り分け,
  その2色のラインを窓枠まで延長した
  デザインが施されました。
  東亜国内航空のコーポレートカラー的役割を
  果たしました。

  ダグラス DC-9    JA8449

  撮影 1984.8.18
      羽田空港・B滑走路
  最初にYS-11が航空会社に納入されたのは,
  1965年/昭和40年,
  東亜国内航空の前身東亜航空であり,
  最初に定期路線で就航させたのも
  東亜国内航空の前身日本国内航空でした。

  東亜国内航空の路線の多くが,
  騒音問題や空港施設の関係から,
  YS-11に依存しなければならないことがあり,
  1980年代,42機のYS-11を保有していました。

  1994年/平成6年の南紀白浜 - 東京便を
  最後に日本エアシステムから引退しました。

  YS-11      JA8665

  撮影 1984.8.18
      羽田空港・B滑走路