Last Update 2015.9.1 | ||
2200形解体 | ||
2200形電車は,近鉄の前身の一つである参宮急行電鉄(桜井-宇治山田)が, 1930年/昭和5年の開業時に製造した長距離用電車です。 このときに,製造された57輌を旧2200形, その後の1939〜1941年に増備された26輌を新2200形(2227形)と呼んでいます。 新2200形は,大阪電気軌道のデボ1400形と設計を共通にしており, 張上げ屋根の精悍なデザインは同じです。 2200形は,全長21mの大型で強力な電車で, 平坦地の最高速度が110km/h,33‰の青山峠を65km/hで走りました。 1932年/昭和7年,大阪電気軌道と参宮急行電鉄は, 上本町-宇治山田を2時間1分で走る2200形による直通特急の運転を開始しています。 戦後,2200形の改装されたグループが戦後初の有料特急に運用されたりしましたが, その後は,急行運用の主力として活躍しました。 1974年/昭和49年に,急行運用を終了し,一部がローカル列車に運用されましたが, 1976年/昭和51年までに,ほとんどの2200形は廃車解体されました。 解体作業は,高安車庫の留置線の近くの側線で実施され, 普段見ることができない廃車体を撮影することができました。 |
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旧2200形・2224号解体 1974 高安車庫〔近畿日本鉄道 大阪線〕 | ||
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2212号の解体 2212号は, 参宮急行電鉄開業時の 1930年/昭和5年に製造された 旧2200形のグループです。 1974 高安車庫〔近畿日本鉄道 大阪線〕 |
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2212号の運転室 製造当時の2200形は, 1輌での長距離運転を想定し, 両端に運転台を設け, 片端運転台の隣に トイレを配置しました。 トイレ側の前面の窓を塞いだため, 前面の窓が運転台側のみになるという 特異な前面スタイルでした。 1974 高安車庫〔近畿日本鉄道 大阪線〕 |
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2212号の台車 旧2200形は, 住友製鋼所製の鋳鋼台車を 採用しました。 当時,私鉄電車の台車には, アメリカ製台車やそのコピー台車が 主に採用されていました。 2200形に装着のKS-33L台車は, その後の私鉄大型電車向け台車として 普及しました。 1974 高安車庫〔近畿日本鉄道 大阪線〕 |
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2212号の車体番号 参宮急行電鉄時代の2212号の 形式番号はデ2212でしたが, 近鉄統合後はモ2212になりました。 近鉄の電動車の形式称号が, デからモに統一されました。 1974 高安車庫〔近畿日本鉄道 大阪線〕 |
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2224号の屋根とパンタグラフ 両運転台の2200形では, トイレのない側に 大型パンタグラフを装着しました。 大型パンタグラフを振りかざす 2200形は格好が良かったです。 1974 高安車庫〔近畿日本鉄道 大阪線〕 |
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2224号の車体番号 2224号は 参宮急行電鉄開業時の 1930年/昭和5年に製造された 旧2200形のグループです。 1974 高安車庫〔近畿日本鉄道 大阪線〕 |
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溶断された2219号の車体番号部 2219号も旧2200形のグループです。 このように溶断された番号板部は 近鉄デパートの催し会などで 販売されていました。 1974 高安車庫〔近畿日本鉄道 大阪線〕 |
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1400・2200形の外された車輪 車軸に歯車が付けれていますので, 電動台車の解体による 発生品です。 1974 高安車庫〔近畿日本鉄道 大阪線〕 |
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床下機器類を外された台枠 2200形の模型を作りたくて 普段,見ることができない台枠部を 何枚も撮影しました。 キットの購入で止まり 完成には至っていません。 1974 高安車庫〔近畿日本鉄道 大阪線〕 |
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2200形の形式銘板 2200形の形式銘板は, 車体端面ではなく, 車体側面の端に取付けられています。 1974 高安車庫〔近畿日本鉄道 大阪線〕 |