Last Update 2016.3.1
      
  琴電 (高松琴平電気鉄道)

  1974年/昭和49年当時の琴電には,他社からの譲渡車輌が多数運用されてしました。
  また,開業当初の自社発注車も現役であり,“電車の博物館”と言われていました。

  その後も,他社の譲渡車で車種統一を進め,
  2012年10月現在,営業用車両80輌(琴平線40輌,長尾線20輌,志度線20輌),
  動態保存車4輌,業務用車輛2輌の合計86輌を保有しています。

  1985年以降は京浜急行電鉄,京王電鉄,名古屋市地下鉄の車輌を投入して,
  旧型車を淘汰し,冷房化100%を達成しています。

  旧型車4輌を動態保存しています。

      琴平電鉄自社発注車⇒ 1000形・120号,3000形・300号,5000形・500号
      大阪鉄道デロ20形⇒ 近鉄モ5620号⇒ 20形・23号


1028号   1974.3.20  仏生山〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
*Photo画面をクリックすると,大画面の連続写真をご覧いただけます。
  920号

  元宇治川電気の51形(64)で,
  1928年/昭和3年製造です。
  1949年/昭和24年に
  山陽電鉄100形(107)に改称され,
  1954年/昭和29年に廃車になり
  車体のみが琴電に譲渡されました。
  琴平線から志度線に運用され,
  1983年/昭和58年に廃車。

  1974.3.20
  高松築港〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
 
  65号と94号

  60形は1913年/大正2年製造の
  元東京急行電鉄クハ5100,3140です。
  1948年/昭和23年に譲渡されました。
  65号は1960年/昭和35年に
  車体新造,電動車に改造されました。
  65号は志度線から長尾線に運用され,
  動態保存車でしたが,
  廃車・解体されました。

  1974.3.20
  瓦町〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
 
  10000形・1002号

  1002号は1952年/昭和27年製造の
  琴電発注車10000形です。
  1001+1002の2輌1編成が
  琴平線急行として運用されましたが,
  1986年/昭和61年に廃車。

  1974.3.20
  仏生山〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
 
  デカ1形

  デカ1号は1957年/昭和27年,
  今橋工場製の事業用電動貨車です。
  木造車体で,車体中央部に運転席,
  その前後が荷台になっています。
  仏生山工場の入換作業をしています。

  1974.3.20
  仏生山〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
 
  5000形・510号

  5000形は開業後の増備車で,
  1928年/昭和3年に
  500,510,520号の3輌が
  製造されました。
  510号は1998年/平易10年に廃車。
  500号が動態保存されています。

  1974.3.20
  仏生山〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
 
  510号,850号

  850形・850号は,
  1942年/昭和17年製造の
  元南武鉄道クハ250形(253)です。
  1963年/昭和38年に譲渡されました。
  1998年/平成10年に廃車。

  1974.3.20
  仏生山〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
 
  850形・850号

  850号は17m級の制御車であり,
  琴平線から長尾線,志度線に転属,
  運用されました。

  1974.3.20
  仏生山〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
 
  9000形・910号

  総武鉄道(現東武野田線)の
  モハ1000形・クハ1201の譲渡を受け
  910号として配置。
  クハ1201は1929年/昭和4年製造。
  2000年/平成12年に廃車。

  1974.3.20
  仏生山〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
 
  1000形・130号

  琴平電鉄開業にあたり1000形,
  100,110,120,130,140号の
  5輌が1926年/昭和元年に
  製造されました。


  1974.3.20
  仏生山〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
 
  20形・22号

  22号は,1925年/大正14年製造の
  元近鉄・南大阪線モ5620形。
  21〜24号の4輌が配置されましたが,
  23号のみが動態保存されています。

  1974.3.20
  仏生山〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
 
  1020形・1027号

  1020形は1957-58年/昭和32-33製造の
  名鉄3700系の譲渡車。
  2輌編成8本の16輌が在籍しました。
  2004年までに廃車になりました。

  1974.3.20
  仏生山〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
 
  950形・960号

  元国鉄オハ31形客車を
  1966年/昭和41年に
  車体を新造して入籍しました。
  950,960号の2輌が在籍,
  1984年,1997年に廃車。

  1974.3.20
  仏生山〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
 
  750形・770号

  備南電気鉄道移行の玉野市から
  モハ100形・101-103の譲渡を受け
  750,760,770として配置。
  琴平線急行に運用されました。
  2006年までに廃車。

  1974.3.20
  太田-仏生山
  〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
 
  20形・24号と750形・770号

  20形は,元々は
  近鉄南大阪線の前身大阪鉄道が
  新造したデロ20形(21-24)。
  デロ20形の前面5枚窓の丸妻は,
  琴電への入線にあたり
  3枚窓の平妻に改造されました。

  1974.3.20
  太田-仏生山
  〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
 
  1000形・1011号

  1960年/昭和35年製造の
  2輌編成1本(1011+1012)の
  自社発注車。
  2003年/平成15年に廃車。
  急行“こんぴら2号”として
  活躍したこともあった。

  1974.3.20
  太田-仏生山
  〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
 
  1020形・1032号

  1020形は1957-58年/昭和32-33製造の
  名鉄3700系の譲渡車。
  
1020形は17m級の全金属車で
  1032号のみが高運転台でした。

  1974.3.20
  仏生山〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
 
  7000形・710号と1011号

  7000形は東武野田線の前身総武鉄道の
  モハ1000形電車。
  電動車1001,1002を7000形710,720号
  制御車1201を
  9000・910号として配置。
  1981年/昭和56年に廃車。

  1974.3.20
  仏生山〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
 
  1000形・1012号

  1960年/昭和35年製造の
  2輌編成1本(1011+1012)の
  自社発注車。
  2003年/平成15年に廃車。


  1974.3.20
  仏生山〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
  3000形・325号

  琴平電鉄開業の1926年/昭和元年に
  300,315,325,335,345の5輌製造。
  300号のみが動態保存。

  1974.3.20
  〔高松琴平電気鉄道 長尾線〕
 
  1000形・120号

  琴平電鉄開業にあたり1000形,
  100,110,120,130,140号の5輌が
  1926年/昭和元年に製造。
  120号のみが動態保存。

  1974.3.20
  〔高松琴平電気鉄道 長尾線〕
 
  1000形・120号

  琴平電鉄の開業時に
  1000形(100,110,120,130,140)5輌,
  3000形(300,315,325,335,345)5輌
  5000形(500,510,520)3輌が製造。
  近代化産業遺産に認定されています。

  1974.3.20
  瓦町〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
 
  3000形・300号

  琴平電鉄開業の1926年/昭和元年に
  300,315,325,335,345の5輌製造。
  300号のみが動態保存。


  1974.3.20
  瓦町〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
 
  60形・62号

  60形は1913年/大正2年製造の
  元東京急行電鉄クハ5100,3140です。
  1948年/昭和23年に譲渡されました。
  62号は車体が新造され
  
前面は非貫通2枚窓です。

  1974.3.20
  瓦町〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
 
  30形・34号

  30形は1964-67年に入線した
  
1941-42年製造の元阪神881形です。
  電動車の27-39号,
  制御車の55-57号が在籍しました。
  前面貫通扉のデザインが印象です。
  長尾線,志度線に投入,
  その後,長尾線専用となり
  1977年/昭和52年に廃車。

  1974.3.20
  瓦町〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕
 
  335号

  琴平電鉄開業の1926年/昭和元年に
  300,315,325,335,345の5輌製造。
  300号のみが動態保存。


  1974.3.20
  瓦町〔高松琴平電気鉄道 琴平線〕