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 北陸本線・富山港線    Update 2024.6.1

  1983年の北陸本線の糸魚川-富山間(交流区間)には,
  485系特急,EF81・EF70牽引列車が運転されていました。
  富山地方鉄道LRT路線の富山港線(富山-岩瀬浜)は,
  当時は直流区間の国鉄線で72系旧型国電が走っていました。
 大阪周辺散歩1972  Update 2024.3.1

  1972年の大阪駅のホームには手洗い場がありました。
  長距離列車や夜行列車の乗客が洗顔などに利用したのでしょう。
  1972年3月に山陽新幹線: 新大阪-岡山が開業,
  新快速による京阪神アーバンネットワークがスタートしました。
 横浜川崎界隈1982  Update 2023.12.1

  1982年/昭和57年7月,
  横浜/東神奈川-新子安,川崎/浜川崎を走る列車を撮影しました。
  EF58牽引の荷物列車・臨時列車,ED16牽引の石灰石輸送列車,
  183系/185系踊り子号が注目でした。
 近鉄大阪線/青山越え  Update 2023.9.1

  1981年/昭和56年8月,近鉄・大阪線の名張-伊勢中川間の
  勾配線区である青山越えを走る列車を撮影しました。
  新ビスタカー10100系は既に引退,後継30000系が,
  12000系,11400系,18000系などと往来していました。
 鹿児島本線・博多界隈  Update 2023.6.1

  1982年/昭和57年3-4月,博多駅,南福岡駅,白木原駅で
  鹿児島本線を走る列車を撮影しました。
  当時,鹿児島本線の特急は有明に統合,
  長崎特急かもめと佐世保特急みどりが併結運転していました。
 南海/軌道線と南海線  Update 2023.3.1

  1979年/昭和54年5月,南海電鉄の路面電車(上町線 平野線)と
  南海本線電車を撮影しました。
  1980年に平野線廃止,阪堺線・上町線が阪堺電軌に譲渡され,
  南海電鉄の路面電車はなくなりました。
 身延線・旧型国電最期  Update 2022.12.1

  1981年/昭和56年4月,身延線を甲府から南に下りながら
  最期の旧型国電とEF15貨物列車を撮影しました。
  急勾配・急カーブが連続,狭小トンネルや鉄橋が多くあり,
  笛吹川鉄橋・常葉川鉄橋を渡る旧型国電を撮影しました。
 紀勢本線/海沿い 1979  Update 2022.9.1

  1979年/昭和54年,紀伊半島の海沿いを走る紀勢本線で,
  キハ82系特急,キハ58系急行,キハ20/40/45/35/55系普通,
  最期のDF50が牽引の客車/貨物列車を撮影しました。
  撮影ポイントは,紀伊長島-三野瀬,相賀-尾鷲,波田須。
 上越国境・水上  Update 2022.6.1

  1982年/昭和57年,上越新幹線開業前に上越線/水上-越後湯沢で
  上越国境を越える列車を撮影しました。
  当時,181系/183系とき・いなほ,165系佐渡などとともに
  EF64重連貨物列車が奮闘していました。
 福岡/遠賀川 1982  Update 2022.3.1

  1982年/昭和57年に鹿児島本線 遠賀川駅付近で撮影しました。
  当時は,遠賀川駅を起点とする室木線が接続しており
  DE10牽引の客車列車,貨物列車が走っていました。
  室木線は1985年に廃止になりました。
 門司港-小倉 1982  Update 2021.12.1

  1982年/昭和57年に北九州の国鉄列車・車輌を撮影しました。
  当時の北九州には,関門専用機関車EF30を始め,
  ED76牽引のブルートレイン/客車列車,キハ58系,DD51などが
  主役として活躍していました。
 近鉄 伊賀線  Update 2021.9.1

  1973-74年/昭和48-49年に近鉄伊賀線,伊賀神戸駅で撮影しました。
  当時の伊賀線には,元信貴山電鉄デ5形が配置,
  伊賀上野-上野市-伊賀神戸を往復していました。
  大阪線に接続する伊賀神戸駅には2200系大阪線急行が発着しました。
 名鉄電車 1986  Update 2021.6.1

  1986年/昭和61年に撮影した名鉄電車を紹介します。
  当時は,元名岐鉄道の800系からパノラマカーまで,
  多種多彩な電車が運用されていましたが,
  旧型電車の多くは,新鋭車の投入により1990年までに淘汰されました。
 土讃本線・大歩危  Update 2021.3.1

  1979年/昭和54年11月,土讃本線を走る列車を撮影しました。
  土讃本線は,吉野川に沿って四国山地を越えるため
  最大25‰の勾配区間や半径200mのカーブが続き,
  とくに,大歩危-小歩危付近は鉄道撮影の絶景地でした。
 新鶴見機関区公開  Update 2020.12.1

  1986年/昭和61年8月2日,新鶴見機関区が公開されました。
  お召し機 EF58 61を始め,注目の機関車が集合しました。
  ブルトレ牽引機 EF58,EF60-500,EF65-500,EF65-1000,EF66が,
  ヘッドマークを付けて展示されました。
 信越本線・青海川-米山  Update 2020.9.1

  1983年/昭和58年8月,信越本線・青海川-笹島-米山で,
  日本海縦貫線を走る列車を撮影しました。
  国道8号線沿いの高台から日本海と列車を俯瞰撮影!
  当時の主役は,485系,165系,115系,EF62,EF81。
 東海道本線・山崎  Update 2020.6.1

  1980年/昭和55年9月,東海道本線・山崎駅付近を走る
  117系新快速,485系北陸特急,貨物列車を撮影しました。
  新快速は,この年7月に153系から117系に置き換えが完了,
  翌1981年引退のEH10が最期の運用に就いていました。
 西鉄・福岡市内線  Update 2020.3.1

  1975年/昭和50年,西鉄福岡市内線を撮影しました。
  この年11月2日,貫線・城南線・呉服町線が廃止になり,
  市内線は大幅縮小,多くの路面電車が廃車になりました。
  残った循環線・貝塚線も1979年に廃止,市内線は全廃しました。
 札幌市電・地下鉄1974  Update 2019.12.1

  1974年/昭和49年の札幌市電・札幌市営地下鉄を撮影しました。
  札幌市電は路線廃止により,西四丁目-すすきの間の運行でしたが,
  連接車をはじめ,多形式の市電が運用されていました。
  1971年開業の地下鉄は,斬新デザインの電車が印象でした。
 嵐電ホイール・ポール時代  Update 2019.9.1

  1975年/昭和50年の京福電鉄/嵐山本線・北野線を撮影しました。
  地元京都では,嵐山本線と北野線は,嵐電として親しまれています。
  嵐電のシンボルであったホイール式のトロリーポールは,
  この年,京都市電から譲り受けたZ型パンタグラフに変わりました。
 京都界隈 1978年  Update 2019.6.1

  1978年/昭和53年の京阪電車,京都市電を撮影しました。
  当時,京阪電車の三条-七条間は鴨川沿いの地上を走り,
  踏切に遮断機はなく,駅員が旗を振って交通整理をしていました。
  京都市電は,この年の9月末に廃止になりました。
 東海道本線・平塚   Update 2019.3.1

  1981-82年/昭和56-57年,東海道本線・東京口に,
  153系・183系の後継185系が登場,踊り子号の運転が始まりました。
  通勤主力は113系,ブルートレイン・EF58荷物列車も元気でした。
  平塚-茅ヶ崎間の馬入川(相模川河口)橋梁を渡る列車を撮影しました。
 竜華機関区・電機時代  Update 2018.12.1

  EF52の最終は,竜華機関区に集結して阪和線列車を牽引しましたが,
  EF58に置き換えられ,1975年に引退しました。
  1975年,竜華機関区のEF52,EF58/15,ED60/61を撮影しました。
  当時,扇形機関庫にEF52が並んで休車留置されていました。
 特急街道・高槻-山崎  Update 2018.9.1

  1975年3月,山陽新幹線・岡山-博多開業のダイヤ改正では,
  関西発着の昼行特急 かもめ,みどり,しおじ,日向,きりしまが廃止,
  寝台特急 あかつき,彗星削減,牽引機のヘッドマークが外されました。
  ダイヤ改正直前に,東海道線を走る華やかな列車を撮影しました。
 福島駅・新幹線暫定開業時   Update 2018.6.1

  東北新幹線・大宮-盛岡間暫定開業時,在来線“やまびこ”は廃止,
  “ひばり”はつかり“つばさ”あいづ“やまばと“は残存しました。
  当時の福島駅には,特急・急行列車のほか,
  ED75,ED78,EF71牽引の客車列車が発着していました。
 鶴見線・弁天橋電車区   Update 2018.3.1

  弁天橋駅に隣接する弁天橋電車区は,鶴見線の電車を配置していました。
  1943年に国有化された鶴見線の電車は,17m戦前形国電から
  72系,101系,103系,205系へと世代交代が進められました。
  1986年当時は,101系とクモハ12が配置されていました。
 西鉄北九州線   Update 2017.12.1

  北九州市内には,西日本鉄道・北九州線の路面電車が運行していました。
  門司-小倉-八幡,小倉-戸畑,戸畑-八幡,小倉-北方を結びました。
  撮影当時の1982年,北方線は廃止になっていましたが,
  北九州本線,戸畑線,枝光線に231輌の路面電車が走っていました。
 横浜界隈・1985年   Update 2017.9.1

  1984〜85年,東海道線を走る電気機関車の運用が変わりました。
  東海道・山陽本線の荷物列車の牽引がEF58からEF62へ
  東京と九州を結ぶブルートレインの牽引がEF65からEF66へ
  横浜駅東京方向の陸橋から国鉄線,京急線を撮影しました。
 EF58終焉期・1984年   Update 2017.6.1

  EF58は,戦後を代表する急客電機でした。
  東海道・山陽本線,東北本線,上越線の優等列車を牽引しました。
  格好の良い流線形車体は,鉄道ファンのみならず人気を集めました。
  1984年/昭和59年,東海道・山陽本線の定期列車から引退しました。
 San Francisco Cable Car   Update 2017.3.1

  30年前の1985年,初めての海外出張のとき,
  サンフランシスコの循環式ケーブルカー3路線を撮影しました。
  ダウンタウンとフィシャーマンズワーフを結ぶ2路線には,
  片運転台ケーブルカーが運用,起終点では人力で転車していました。
 東北本線 1981   Update 2016.12.1

  東北新幹線・大宮-盛岡開業の前年,1981年/昭和56年3月に,
  東北本線・福島付近を走る列車を撮影しました。
  福島の南(松川-金谷川-南福島),北(宮城県境・越河越え)の勾配区間は,
  ED71,ED75が重連で貨物列車を牽引していました。
 名鉄3400系 1986   Update 2016.9.1

  3400系は,1937年/昭和12年製造の名鉄優等列車専用電車です。
  先頭部は当時の流行の流線形でした。3編成(2輌→4輌)が活躍しました。
  1988年に2編成が廃車,残る1編成が2輌編成の動態保存車として,
  2002年/平成14年まで運用されていました。
 出雲の電車・一畑電鉄   Update 2016.6.1

  1974年/昭和49年,出雲と松江を結ぶ一畑電鉄の電車を撮影しました。
  当時の主力電車は,昭和初期製造のデハ1形やその改造車でした。
  途中駅の一畑口は,趣のある平坦地のスイッチバック駅です。
  2010年公開の映画 “RAILWAYS”の舞台になりました。
 琴電・土佐電・伊予鉄/1974  Update 2008.9.1

  1974年/昭和49年,宇高連絡船で渡り,
  四国の私鉄(香川/琴電,高知/土佐電,愛媛/伊予鉄)を巡りました。
  当時,国鉄は非電化で,電車はなく,ディーゼルカー天国でした。
  一方,私鉄には,大手私鉄を引退した電車が多く活躍していました。
 奥羽本線・雪景色   Update 2015.12.1

  1981年/昭和56年3月,雪の残る奥羽本線 庭坂-赤岩-板谷で,
  458系特急つばさ,キハ58系,EF71/ED78牽引列車を撮影しました。
  当時,板谷峠はスイッチバックで超える急勾配と豪雪の難所でした。
  現在は,山形新幹線に生まれ変わっています。
 近鉄1400・2200形無残   Update 2015.9.1

  1400形は1939-40年/昭和14-15年製造の大阪電気軌道デボ1400形,
  2200形は1930-41年/昭和5-16年製造の参宮急行電鉄2200形です。
  共通設計の1400形と2200形は,登場当時,最大最強の傑作電車でした。
  1974年/昭和49年,1400形,2200形の廃車が始まりました。
 東急電鉄 1986   Update 2015.6.1

  1986年/昭和61年,反町,多摩川園,蒲田で東急電車を撮影しました。
  反町駅,多摩川園駅は,路線変更ですっかり変貌しました。
  当時,目蒲線・池上線に,旧型3000系,青ガエル5000系,7200系,
  東横線に,7000系,8000系,8500系,8090系が運用されていました。
 西日本鉄道・1982   Update 2015.3.1

  1982年/昭和57年当時の西鉄電車を紹介します。
  元特急車1000形・1300形,一般車100形・300形の旧型電車とともに,
  特急車2000形,一般車600形・5000形の新性能車が活躍していました。
  ドーム屋根の西鉄福岡駅からは,電車が頻繁に発着していました。
 土讃本線・新改   Update 2014.12.1

  土讃本線・新改は,四国山地にあるスイッチバックの駅です。
  停車する列車は,一旦,引上線に入線して発着します。
  1979年/昭和54年当時,DF50牽引の普通列車や
  特急 南風,急行 あしずり・土佐などが通っていました。
 東海道本線・山崎 1975   Update 2014.9.1

  東海道本線・山崎のサントリー蒸留所の前は,
  複々線が大きくカーブし,列車を格好よく撮影できるポイントです。
  1975年/昭和50年当時,すでに,昼行山陽特急はなく,
  北陸特急,EF58牽引寝台特急,153系新快速が注目でした。
 南海1000形“四国号”   Update 2014.6.1

  南海電鉄は,1973年/昭和48年,11001系後期車(1957年〜製造)を
  昇圧改造した半流線形1000系を四国連絡特急“四国号”に投入しました。
  “四国号”は1985年/昭和60年に廃止され,
  1000系は10000系“サザン”に特急運用を渡して離脱しました。
 山陽本線・特急終焉   Update 2014.3.1

  1975年/昭和50年3月10日,山陽新幹線・岡山-博多開業で,
  しおじ,はと,つばめ,かもめ など全ての昼行特急が廃止されました。
  最期の山陽特急を,山陽本線・富海-戸田,大畠-神代,柳井で,
  山陽特急運転最終日まで撮影しました。
 東北本線・蒲須坂   Update 2013.12.1

  1982年/昭和57年6月の東北新幹線・大宮-盛岡暫定開業のとき,
  やまびこ(上野-盛岡)は廃止,ひばり(上野-仙台)は半減しました。
  11月の本開業で,上野と仙台・盛岡・青森間の特急は全廃になりました。
  本開業直前10月に,蒲須坂で最期の東北特急を撮影しました。
 紀勢本線・荷坂峠   Update 2013.9.1

  紀勢本線最大の難所,伊勢と紀伊国境の荷坂峠(梅ケ谷-紀伊長島)に
  ディーゼル・パワーが挑みます。
  DF50牽引の列車がが,13か所のトンネルを抜けて荷坂峠を越えます。
  キハ82形特急“南紀”のディーゼルサウンドが山間に響きました。
 名古屋鉄道・犬山橋   Update 2013.6.1

  木曽川を渡る犬山橋(1926年/大正15年竣工/223m/3連トラス)は,
  かつて,名鉄犬山線と国道41号線の鉄道道路併用橋でした。
  道路橋開通の2000年まで,名鉄電車と車が橋を渡っていました。
  道路上を走る電車は迫力満点でした。
 富山電車巡り・1985年夏   Update 2013.3.1

  1985年/昭和60年当時の富山の電車を紹介します。
  当時の富山には,市内を走る路面電車,
  富山と立山・宇奈月温泉を結ぶ富山地方鉄道の地鉄電車,
  富山と上野・大阪・名古屋を結ぶ特急などが走っていました。
 上越特急“とき”終焉   Update 2012.12.1

  上越特急“とき”は,上野-新潟を高崎線・上越線・信越本線を経由して
  1962年/昭和37年から上越新幹線開通の昭和57年まで走りました。
  上越国境(水上-越後湯沢)に,最期の“とき”を追いました。
  降雪の中,緑の中を疾走する“とき”を撮影できました。
 羽田空港 1984     Update 2012.9.1

  28年前の1984年/昭和59年,羽田空港・B滑走路に着陸する航空機を,
  B滑走路の北方向に位置する京浜島から撮影しました。
  当時の主力機は,ボーイング 727,737,747,ロッキード TriStar,
  ダグラス DC10,エアバスA200,YS11などでした。
   天王寺・湊町 新旧国電交代   Update 2012.6.1

  1977年/昭和52年,阪和線の国電が新旧交代しました。
  阪和線は,51系(3扉旧型国電),70系,72系が最期を迎えていました。
  湊町(現JR難波)駅,天王寺駅構内に,旧型国電が留置されていました。
  1973年電化の関西本線には,113系,101系が走っていました。
 近鉄ビスタカー 10100系     Update 2012.3.1

  近鉄ビスタカー10100系,1959年/昭和34年登場の特急車です。
  近鉄特急を象徴する車輌として,名阪特急などに活躍しました。
  10100系は流線形の先頭や,2階建て車輌・3輌連接構造が印象でした。
  1978年/昭和53年から,9輌編成による記念列車が運転されました。
   土讃本線・坪尻     Update 2011.12.1

  坪尻駅は,徳島・香川の県境にある猪ノ鼻峠南方の秘境駅です。
  駅は谷底にあり,民家はなく,国道32号線から600m下って行きます。

  スイッチバック式の駅で,通過する181系特急,58系急行のほか
  引き上げ線を往復するDF50牽引客車列車を撮影しました。
 
 桑名・近鉄電車懐古     Update 2011.9.1

  1976年/昭和51年当時,桑名駅では,国鉄・関西本線と
  
近鉄・名古屋線,養老線,北勢線の列車が発着していました。
  線路間は,近鉄・名古屋線が標準軌,近鉄・養老線と国鉄が狭軌,
  近鉄・北勢線が762mmと,軌間の異なる電車を見ることができます。
 東海道本線・函南     Update 2011.6.1

  函南-三島に,富士山を背景にする撮影ポイントがありました。
  九州寝台特急は,2005年/平成17年,あさかぜ,さくらが廃止になり,
  2009年/平成21年のはやぶさ/富士の廃止により消滅しました。
  1983年/昭和58年当時,寝台特急,急行東海が走っていました。
 アップル電車長野電鉄     Update 2011.3.1

  長野電鉄は,長野県北部を走る地方鉄道です。
  東急,営団,小田急から来た電車が主力として活躍しています。
  元小田急ロマンスカーは,特急“ゆけむり”として走っています。
  1982年当時,東急“5000系”がアップルカラーで活躍していました。
 加太越え関西本線     Update 2010.12.1

  関西本線 加太-柘植は,25パーミルの急勾配が連続する難所であり,
  貨物列車は後補機を付けて,運転されました。
  蒸気機関車D51から,ディーゼル機関車DD51に代わっても,
  迫力のある“加太越え”でした。
 瀬野八EF59時代     Update 2010.9.1

  山陽本線 瀬野-八本松(10.6km)は,急勾配の連続する難所であり,
  瀬野八(せのはち)と呼ばれています。
  上り貨物列車は,補助機関車を連結して,運転されています。
  1963〜86年/昭和38〜61年,EF53改造のEF59が運用していました。
 1976年・東京懐古     Update 2010.6.1

  1976年/昭和51年3月,国鉄から蒸気機関車が消え,
  鉄道ファンの撮影対象は,機関車,電車など車輛全般に広がりました。
  1976年春,大阪から上京し,東京・横浜を走る電車を撮影しました。
  紹介する電車は,35年後の現在,元気な姿を見ることはできません。
 関西本線 奈良・湊町電化     Update 2010.3.1

  関西本線 奈良−湊町は,1973年/昭和48年に電化されました。
  電化前は,キハ35系などのディーゼル列車群が運行されていました電化で,
  蒸気機関車が廃止になり,春日大社をイメージした
  朱色ラインの113系快速電車が
大阪環状線に乗入れを開始しました。
 近鉄ローカル・道明寺線     Update 2009.12.1

  近鉄 道明寺線は,近鉄 南大阪線 道明寺駅と
  JR大和路線(関西本線)柏原駅を結ぶ 2.2kmのローカル線です。
  1977年当時,2輌編成の電車が大和川を渡っていきました。
  川面に映った電車が印象的でした。
 伯備線・布原 D51三重連     Update 2009.9.1

  1972年まで伯備線 足立→新見に,D51三重連が運転されていました。
  布原信号所は,撮影ポイントとして,広く知られていました。
  当時,高校生の私は,布原信号所で交換するディーゼル列車から降り,
  発車間近のD51三重連列車を,夢中で撮影したことを覚えています。
 浜川崎貨物駅・雪景色     Update 2009.6.1

  浜川崎貨物駅は,JR鶴見線・浜川崎駅の東にあります。
  貨物列車の仕分線が広がり,以前は,会社専用線に続いていました。
  1984年/昭和59年当時の浜川崎駅は,
  貨物列車が頻繁に発着する京浜工業地帯の貨物駅でした。
 阪和線・紀ノ川橋梁     Update 2009.3.1

  阪和線 六十谷−紀伊中ノ島間に,紀ノ川橋梁があります。
  1975年/昭和50年当時,国産初の電気機関車EF52や,
  EF58,ED60,旧型国電,キハ81,キハ58など多彩な車輌が渡りました。
  橋上列車を,すっきり撮影できました。
 東海道 根府川・白糸川橋梁     Update 2008.12.1

  東海道本線の根府川駅の熱海寄りに白糸川橋梁があります。
  橋梁を渡る列車からは,太平洋を広く見ることができます。
  大垣発の夜行列車で,早朝の根府川駅を訪ねました。
  夜行急行“銀河”や九州寝台特急が,白糸川橋梁を渡っていきました。
 近鉄 “鮮魚列車”     Update 2008.9.1

  近鉄は1963年/昭和38年から伊勢の鮮魚を大阪に運ぶ行商人のため,
  宇治山田→大阪上本町→松阪に“鮮魚列車”を運行しています。
  1974年/昭和49年当時,近鉄の前身・大阪電気軌道の1400形電車が,
  鮮魚列車運用に最期の活躍をしました。
 阪神電鉄の路面電車     Update 2008.6.1

  大阪市電の廃止のあとも,大阪の北と南に,路面電車が走っていました。
  北の路面電車 阪神電鉄 国道線・甲子園線・北大阪線は,
  1975年/昭和50年5月6日,全廃になりました。全廃直前の撮影です。
  “金魚鉢”と呼ばれた大窓の個性的なスタイルの電車が走っていました。
 昭和ローカル・新潟交通     Update 2008.3.1

  新潟交通・電車線は,新潟市内と燕を結んでいましたが,
  1999年/平成11年4月5日,全廃になりました。
  県庁前から黄と緑の単行電車に乗車し,雪の残る白根に向かいました。
  駅も電車も乗客も沿線も,懐かしい昭和ローカルでした。
 九州寝台特急電機 EF65 500     Update 2007.12.1

  EF65 500は,1965〜78年/昭和40〜53年,東京発寝台特急を牽引,
  さくら,はやぶさ,みずほ,富士,出雲,あさかぜ,瀬戸など。
  現在,東京発ブルートレインは富士・はやぶさと銀河になりました。
  これらの列車も,そろそろ廃止の時期が近づいてきたようです。
 南極観測船 “しらせ”     Update 2007.9.1

  南極観測船“しらせ”が2007年秋,最後の航海(24回)に出航しました。
  “しらせ”は世界屈指の砕氷船として,1982年/昭和57年に就役しました。
  就役当時の“しらせ”の横浜大桟橋入港を撮影していました。
  独特の幅の広いオレンジ色の船体が印象的でした。
 会津街道 磐越西線     Update 2007.3.1

  1981年/昭和56年3月当時の磐越西線・電化区間です。
  特急あいづ,急行ばんたい,DC急行あがの,いいで,いなわしろ,
  磐越西線専用電機ED77牽引の客車列車,貨物列車などが
  磐梯山を望みながら,活躍していました。
 山陰本線 余部鉄橋     Update 2006.12.1

  山陰本線 鎧−餘部間に余部鉄橋があります。
  高さ41m,長さ311mの余部鉄橋は,1912年/明治45年の架橋です。
  11基の橋脚と23連の橋桁のトレッスル鉄橋は,日本一の規模です。
  2010年/平成22年には,コンクリート橋に架替の予定です。
 上野“東北・上越特急時代”     Update 2006.9.1

  上越・東北新幹線大宮開業の1982年/昭和57年11月まで,
  上野駅には,東北,常磐,上越,信越方面の多彩な特急電車が
  ひっきりなしに発着していました。
  上野駅が,最も華やかなときでした。
 碓氷峠のシェルパ EF63     Update 2006.6.1

  EF63は,碓氷峠越えのために生まれた電機です。
  横川-軽井沢を走行する全ての列車の補助機関車として活躍しました。
  1997年/平成9年の長野新幹線開通により,碓氷峠区間が廃止になり,
  1962年/昭和37年からの運用に終止符を打ち,全機引退しました。
 関門電機 Mr. Silver     Update 2006.3.1

  関門トンネル(下関−門司)を通る全ての客車・貨物列車を牽引するため,
  ステンレス・無塗装の交直流電機 EF30が活躍しました。
  EF30は,1961〜1987年の26年間を関門専用機して過ごしました。
  1982年当時のEF30を紹介します。 
 1978年・横浜を走る国電・列車     Update 2006.1.1

  27年前,1978年/昭和53年に横浜を走る電車・列車を紹介します。  
  当時,東海道線と横須賀線は同じ線路を走っていました。
  通勤電車に冷房はなく,横浜駅を貨物列車も通過していました。
  ゼネストによる国電運休,運賃値上げなど,国鉄が苦しい時代でした。
 関西“新快速” 117系時代     Update 2005.10.1

  特急よりも速い,関西名物“新快速”。
  京都・大阪 29分,大阪・三ノ宮 24分で走り抜けました。
  117系は,新快速専用電車として,1979年/昭和54年に誕生しました。
  新快速運用を1989年から221系に譲り,ローカル運用に就いています。
   鶴見線 旧型国電73系時代     Update 2005.8.1

  京浜工業地帯を走る鶴見線には,
  1972〜1980年まで,チョコレート色の73系電車が活躍していました。
  鶴見駅の鶴見線発着ホームは,
  主役が73系,101系,103系,205系に交代しても,昔のままです。